ちょっと調べたところによると波爾安日子神は、伊邪那美命が火の神迦具土神を産んだときに、火傷で苦しみながら糞をした、その糞から生まれた神であるそうで、波爾は埴輪の埴と同義で、埴は陶器や瓦の原料になる赤土を意味します。また、この神社の末社に、お稲荷さんが祀られていて、稲荷社は赤く塗ることからも赤の宮と呼ぶようになったのではということです。
鳥居をくぐって神社の境内に入ります。
神社の隣には疎水が通っています。
昔から波爾安神は田の畦や川の堤などに守護神として祀られたそうで、記録によると高野川は、昔は今より東側を流れていたそうですから、おそらく、赤の宮神社は元々、高野川のほとりに川の氾濫を抑えることを願って祀られたのでしょう。
正面から舞殿を望みます。
波爾井というご神水の井戸があります。
波爾井の説明板。「日本書紀」によると、伊邪那美命は死の間際に土の神埴山姫神と水の神罔象女神を生んだとされており(http://www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/kamigami/haniyasu.html)、埴土を水で練って作られた祭具は、土と水の力を象徴しているそうです。そういう観点から考えると説明板の記述も納得できます。
近所の方々が水汲みに来ていました。
本殿です。
狛犬
もう一匹、狛犬
稲荷に続く鳥居
今まで、何気なく通り過ぎるだけの赤の宮神社でしたが、神社のいわれを調べてみるといろいろ新しい発見があって面白かったです。
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